天皇陛下が譲位された後は「上皇」となられます。

歴史の教科書では「上皇」という呼称を学んだ事はありますが、どのような公務(仕事)を行われるのかはっきりしない方もおられるでしょう。

この記事では以下の内容を解説しています。

 

  • 上皇はどのような公務を行われるのか?
  • 天皇と上皇ではどっちが偉い(上位)になるのか?

 

上記の疑問に答えるような記事になっています。

 

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天皇譲位後、上皇として公務を行うのか?

 

天皇陛下は、在位されている期間、多くの時間を公務に当てられ、日本だけでなく世界中にお出かけになられていました。

その公務への姿勢や国民への真摯な姿勢などは、多くの方の記憶に鮮明に残っておられることでしょう。

天皇陛下や皇后陛下の人となりに感銘を受けたという方は、決して少なくないはずです。

 

天皇陛下がこれまでに行われていた公務は、今後「徳仁皇太子」が天皇陛下となり、引き継がれます。

 

徳仁皇太子の人柄も同じく素晴らしいものであるため、これまでのような公務への姿勢を守っていかれることでしょう。

ここで気になるのは、天皇を譲位され上皇となられた後、どのような御仕事(御公務)を行われるようになるのかという事です。

 

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上皇による公務への参加はほとんどない予定

 

 

上皇となられた後にも、国民としては公務でお姿を拝見できると嬉しいと感じる方も多いかもしれません。

現在のところ、どこまで公務に参加されるのか明確に決定しているわけではないようです。

しかし、上皇として公務に参加するようになると、1つ大きな問題が出てきます。

 

それが「二重権威」です。

 

天皇と上皇が同じ場所に出ることによって、象徴や権威という面で絶対的な存在が2人いるという印象を与えてしまうことです。

二重権威が懸念される理由は、過去にはなりますが天皇が実権を握っていたわけではなく、上皇が実質権力を掌握していたような時代がありました。

天皇を譲位した後、上皇の立場で公式の場に天皇と一緒に参加するなら、上皇が引き続き象徴であるという印象を与えてしまうことになるわけです。

 

そのため、「二重権威」を避けるために、上皇となられた後は、公務や一般参賀、宮中晩餐会などに出席される見込みはほとんどないと考えられています。

これは園遊会といった場でも同じであるため、上皇を見られる機会はかなり減ることになるでしょう。

 

しかし、こうした二重権威に関する懸念は、考え過ぎであり、現代の天皇と上皇の関係性から「二重権威」になることはありえないという意見もあります。

秋篠宮さまも、二重権威について「あり得ない」とはっきりと述べておられることからも、考え過ぎという部分もあるでしょう。

 

しかし、公務や一般参賀などには、外国からの来賓もいるため、上皇と天皇が共に出席するなら、混乱を招く可能性は高いのも事実です。

実際、天皇陛下ご自身も、全ての公務を新天皇に譲ると明言しておられ、二重権威とならないように気をつかっておられることが分かります。

 

結論としては、上皇が公務に加わることはないというものです。

 

では、過去に上皇になった退位した天皇はなにをしたのか確認してみましょう。

 

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退位後の天皇の歴史

 

過去において、退位した天皇がどのようになったのかというと、いくつかの結論があります。

 

  1. 院政によって権力を掌握した
  2. 法皇となった
  3. 詩の道へ進んだ
  4. 権力闘争に敗北

 

上皇となった天皇の結末は上記の4つがほとんどです。

 

院政によって権力を把握した上皇

 

日本史を学んだ方の記憶の中で最も印象に残っているのは、この1つ目の結末かもしれません。

院政を行った上皇として有名なのは「白河上皇」や「後白河上皇」が有名です。

特に「白河上皇」に関しては、【院政=白河上皇】という印象があるほど、権力を完全に握った人物です。

この院政によって、天皇家が政治の実権を藤原氏から取り戻すという目的を成し遂げることができました。

歴史的に画期的なことを成し遂げた白河上皇ですが、結果として天皇と上皇という2つの権力が存在する原因ともなります。

これが天皇家内で引き起こされる権力争いの種となった例(保元の乱など)も少なくありません。

こうした歴史的な背景があるため、現在の日本史においては「天皇の生前退位は認められない」ようになっていました。

実際に、天皇の生前退位を認めないという皇室典範が出来上がったのは、明治時代に伊藤博文などが二重権威を避けたかったからといわれています。

しかし、院政によって実権を握ったのは、生前退位した天皇26人のみであり、最後の1人が後白河上皇です。(平安時代)

 

上皇となった後に出家して法皇となる

 

もう一つの結末とは、上皇が出家して法皇となるケースです。

このパターンも意外と多く、全天皇の中で35人が法皇となっています。

出家の目的は「修養」によって権力から離れ、静かに余生を送ることです。

しかし先ほどの「白河上皇」「後白河上皇」は、出家して法皇となった後も権力を掌握し続けたため、本当の意味で「出家」したわけではない上皇も少なくないようです。

その半面、本来の目的通り、静かに余生を送るようになった上皇もいたことも事実です。

 

学問の追求を行った上皇たち

 

江戸時代の上皇

「霊元上皇」は「法皇八十御賀記」

「後西上皇」は「歌集」を作成しています。

鎌倉時代の上皇

「順徳上皇」「伏見上皇」なども「有職故実」や「歌集」を残しています。

南北朝時代

「長慶上皇」は、「仙源抄」を書き記しています。

この他にも「上皇」となった後に、歌集を作成しながら、学問の研究などに勤しんだ「上皇」も数多くいます。

 

権力抗争に敗れた上皇

 

退位した天皇の中には、上皇として実権を掌握し続けたいと考え、結果として権力者と対立し敗れた者もいます。

日本史の授業で学んだ「〇〇の乱or変」という戦いの多くは、上皇と天皇の争いを表しています。

例えば、権力争いに敗れた上皇の例には以下のようなものがあります。

 

薬子の変:平城上皇と嵯峨天皇の争い

承久の乱:後鳥羽上皇と幕府との争い

保元の乱:崇徳上皇

 

このように上皇となった後も、権力に執着した上皇の中には、悲劇的な結末を迎えた人物も少なくありません。

こうした負の結末も、二重権威への懸念につながっているでしょう。

 

では、そもそも天皇と上皇ではどちらが偉い(立場が上)のでしょうか?

 

天皇と上皇ではどちらが偉いのか?

 

生前退位が行われると、上皇と天皇ではどちらが偉いのか、という疑問が出てくるかもしれません。

現代の公的な観点から結論を簡潔に言うと、

 

「天皇>上皇」

 

このようになります。

公的な立場上は、「天皇」の方が「上皇」よりも立場は上になるため、外国との関係や公的な場では、やはり天皇が一番偉いという事になります。

しかし生前退位(天皇の譲位)によって上皇が誕生しますが、上皇と天皇の関係は「親子」であるため、皇族という範疇であれば「上皇>天皇」という事になるでしょう。

つまり新天皇は、上皇を親として敬うという意味です。

しかしこれは今回の譲位による「上皇」と「新天皇」の関係性のみの話になります。

 

 過去における上皇と天皇の関係性

 

過去においては、「治天の君」という言葉がありました。

この言葉は、実質上の最高権力者を意味しており、上皇と天皇という立場で決まるのではありません。

最高権力を所有している天皇もしくは上皇が一番偉いということになります。

院政によって権力を掌握した上皇であれば、「上皇>天皇」となります。

逆に、退位後権力が新天皇に移った場合は、「天皇>上皇」となります。

ですから過去において、上皇と天皇のどちらが偉いのかという事は、時代によって異なるという結論になるでしょう。

上皇と天皇では、どちらが偉いのかという事を考えるのであれば、「治天の君」の意味を理解することが重要です。

 

とはいえ、今回の譲位による上皇と天皇の関係性で言えば、

公的には「天皇>上皇」

私的には「上皇>天皇」(親子関係)

ということになるでしょう。

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